オーストラリアへ再び来ることは、なかなか大きな決断だった。
2年半前に脱ステして、社会生活が送れなくなり、まず日常生活がままならなくなってしまった。
起き上がるエネルギーもなく、トイレとご飯以外は横になっていないと辛い。
当時、6件分から始めた民泊運営も、順調に12物件まで増え、パソコン一台で運営出来ていたけど、人に任すことをためらって自分一人でやることに固執していたことが仇となり、体壊すと一気にペースダウンしてしまった。
脱ステピーク時にはもうはやパソコンすら開けなくなり、寝てることしか出来なくなり
苦渋の決断の末、手放すことにした。
そこからはもう寝たきり闘病生活の始まり。
周りは不健康や病気とは縁のない世代ばかり。
自分と周りを比べては、私だけ家から出れなくて辛い。元気に働けなくて辛い。
惨めな思いばかり募っていた。
そんな生活は、今まで持っていた私の価値観を全て変えていった。
本当に大切なものとは何か。
私はどのように生きていくのが幸せなのか。
テレビや、マスコミに左右されるわけでもなく、
世間の何となくの流れや、無言のプレッシャー、周りの人の【当たり前】に流されるのではなく
本当に自分が欲しいもの。
望んでいるものは何か?
寝たきりの中で何度も自問する時間はあった。
病気は、食べ物への知識や、健康への知識を膨大に増やしてもくれた。
もしステロイドを使い続けて何とか小康状態を保っていたとしても、いずれは糖尿病、骨粗鬆症、鬱、肥満、代謝の悪さ、ありとあらゆる不健康リスクが待っている。
私が脱ステしたタイミングは必然であの時必要だったと今なら思える。
携帯の電波もWiFiもない、なぎさんの家で数日過ごしてまた色々考えさせられた。
とくにバジルは絶品で、お店で買うそれよりも何倍も香り高く味がしっかりしていて、ちぎって洗わずにそのまま食べても最高
こうして畑で採れた野菜でみんなで一緒に料理して、一緒に食べると楽しいアクティビティになる。
玄米には、キヌアも混ぜて炊きました
夜には、心打つ何億もの星空が見れます。
天の川もバッチリ端から端まで見え、南半球にしかないサザンクロス星も見えて感動。
トムが、火星が見えるよと一つ明るい星を指指してたけど、火星って肉眼で見えたっけな(星に関しては全く無知のわたし)
都会の喧騒も便利なお店もない、
本当に自然と共存する生活をトムとなぎさんはとても気に入っていて、シンプルに暮らしている姿が、私にとってとても新鮮に感じました。
いつも携帯ばかり見てしまいがちだけど、電波もなくWiFiもなかったら、自然とみんなで話したり一緒にテレビ見たり、人と時間を共有する機会が増える。
それって現代人にとって必要なものなんじゃないかなと思った。
こう生きないといけない
仕事はこうじゃないといけない
いくら稼がないといけない
結婚しないといけない
子供をつくらないといけない
日本にいると年齢とともに
〇〇しないといけない
という社会からの無言のプレッシャーを嫌でも感じてしまってた。
それがじわじわ縄で首を絞められているみたいに苦しかった。
それにわたしがなりたい姿は、大阪の朝の通勤ラッシュに死んだ顔して電車に乗り込むくだびれたサラリーマンじゃ絶対ないのは分かってた。
わたしはあれを見るたび本当にゾッとしてた
視界に入れないようにすらしてた。
私がこういうこと言うと、彼らがいるから今の日本があるとかいう友達がいたけど
それが事実であれそうじゃなくたって
あのエネルギー枯渇した姿を見てどうしても、自分があの世代になったときああいう姿になりたいなんて微塵も思えなかった
オーストラリアに来てから少しずつ
〇〇じゃないといけないという思考が外れてきていると思う
ここの国はそれぞれが自由だ。
周りに合わせる、同調圧力といった日本独特の文化とは程遠い。
人は笑いたい時に笑い、自分の感情を素直に表す。
いろんな人種の人がいて、肌の色も様々。
いろんな国籍の人が共存している。
その分だけ考えや価値観があり、それを知るのも面白い。
とあるサイトで幸せを感じる方法という記事を見つけた。
人間が幸せを感じるのは案外シンプルで単純なものなのかもしれない。
自然に囲まれ、シンプルな生活、人間本来のもつ姿を感じ、そんなことを考えた。